EPISODE
“一生できる仕事を見つけたい”。シンプルな構造に惹かれ、農業の道へ
“農業未経験”、“旭市の名前も聞いたことがない”。8年前、そんな未知だらけのスタートを切った藤永太一さんですが、なんと農業研修7日目で、旭市での就農と移住を決めたといいます。
「出身は横浜で、学校を卒業した後、18歳くらいでオーストラリアに行って車で旅をしながら牧場で働いたりしていました。日本に戻ってからは、縁があって友人と都内で居酒屋を経営していましたが、地元でお店をやりたいと思い、横浜で1年くらいバーを経営していました。でもお酒を飲む仕事だし、不摂生もあって体を壊してしまって。ドクターストップがかかって、30歳を前に、何か一生やれる仕事を探さないとダメだな…と思い始めて、辿り着いたのが“農業”だったんです」
仕事柄、お酒を飲む機会が多く、食事はおざなりだったという藤永さん。体を壊したことで、「食べ物」を意識するようになったそうです。
「野菜を自分で作って、食べてエネルギーにして、そのエネルギーでまたそれを作るって、すごくシンプルな循環だと思ったんです。それに、お客さんになる人も0歳から100歳までと幅広い。もっと農業について知りたいと思って、北海道や群馬などあちこちに農業体験に行きました。でも、体験だけだと『これで生活できるのか?』という一番聞きたいことが聞けないし、作業者なのでボスと経営について話すチャンスもなかなかない。やっぱり一度しっかり農業の世界に入らないと分からないだろうと思ったんです。」
直感を信じ、農業研修7日目で旭市での就農・移住を決意!
そこで、農業に特化した求人サイトを検索して出会ったのが、旭市仁玉の林農場でした。
「社長さんと初対面からとにかく馬が合って、まずは1週間農業研修に行くことに。その1週間のうち4日は一緒に飲むみたいな感じで、研修が終わる7日目には、もう家を借りてました(笑)」
それまで旭市に来たことはもちろん、名前さえ知らなかったという藤永さんですが、他の農場に体験に行くこともなく、たった1週間で移住を決意しました。
「社長ととにかく気が合ったし、これだけの距離感で接してくれる人を断って、地元に帰って他に何かあるかと考えたら、何もない。たった1週間で100%のことなんて分からないし、まずはやってみてダメだったらまた考えればいいと思ったんです。」
藤永さんは林農場に入社後、ハウス栽培や露地栽培などに6年間従事。最終的には農場長というポジションで、社員に指示を出すほどまでになりました。
「規模の大きな農場なので従業員も10人くらい、海外からの技能研修生などもいました。みんなに指示を出すためには自分が全部把握していないといけないし、言葉が通じないときは実務を見せて指導しなくちゃいけない。でも経験値は少ないし、最初の1~2年はなかなか思うようにできずに歯がゆさがありました。マネジメントやチームワークといった面でも気を遣いましたね。」
もともと飲食店経営を行っていたため、経営者側の気持ちも理解できた藤永さん。社長と従業員の間をつなぐ重要なパイプ役として双方から頼りにされていましたが、より自分らしい農業を求めて独立を決意します。
独立してフリルレタス農家に。家族も増えて畑付きのマイホームも購入
「その当時は毎日会社に行って週1回休み、家族で賃貸アパート暮らし…という感じで、なんで田舎に来て農業をやっているのに、勤め人みたいな生活をしているんだろう、と思ったんです。もちろん会社勤めの良さもあると思いますが、自分が求めるのはそっち側じゃなかった。」
また、旭市で出会った奥様との結婚やお子さんの誕生もあり、もっと田舎で子育てをしたいという思いもあったそうです。働く父親の姿を毎日間近で見せたいと考えて、畑付きの一軒家を購入し、同時に独立。現在はフリルレタス農家として1000坪の農地を借りて月約6000個の生産・販売を行い、地元の飲食店をはじめ、道の駅や都心のスーパーなどにも野菜を卸しています。
「独立した後、自分で20種類くらいいろんな野菜を作ってみて、フリルレタスが一番美味しかったんです。米ぬかや有機物をたっぷり入れた土に植えて、しっかり日光と風を当てて育てると歯応えも味もしっかりしてうまい。僕は死ぬほど考えることも、自分の勘で動くことも同じくらい大事だと思っていて、このフリルレタスは直感で“いける”と感じたんです。今はフリルレタス1本で1年くらいやっています。」
今後は、贈答用に野菜のギフトボックスなどもつくってみたいそう。
「自分に買う500円の野菜は高いけど、人に贈る500円の野菜ってすごく安いと思うんです。ドーナツの箱みたいなものに入れて、気軽にギフトとして贈れるようにしたいですね。」
入ってみなければ分からない。だから、やってみる。
農業未経験から独立を果たした藤永さんにとって、その道は決して簡単なものではなかったと言います。
「農業は土地がないとできません。自分も農場を辞めた後、市役所の農水産課に相談したりして、今の畑は以前勤めていた会社の社長から紹介してもらって見つけることができました。自分のように、一度こちらで働いてみて、人脈を生かして畑を貸してもらう、というやり方もいいんじゃないかと思います」
藤永さんは今回制度を利用していませんが、旭市では就業に向けて、農業体験や見学、技術研修などさまざまな就農支援を行う充実した制度もあります。就農希望者の受け入れを行っている農家さんなどもいらっしゃいますので、ご興味のある方は、まずはお気軽にお問合せください。
旭市新規就農ガイド
旭市農水産課では就農に関するご相談を承っております。農場見学、農業体験も随時企画しており、宿泊費の一部助成も行っています。
「自分も農業の“の”の字も知らないでこの仕事を始めました。農業というフィールドに、一度入らないと好きか嫌いかも分からないと思います。もしリアルな話を聞きたいと思ったら、いつでも連絡してもらっていいですよ。」と話す藤永さん。農業の厳しさも楽しさも含め、旭市での暮らしをとても気に入っています。
「こんなに農家さんが堂々としているまちって珍しいと思うんですよね。資材屋さんがいっぱいあって、軽トラが堂々と走ってて、『俺、農家だよ!』みたいな」と笑う藤永さんご本人も、今はまぎれもなく自分の仕事に誇りを持つ旭市の農業従事者の1人です。
現在は別の仕事をしている奥様と、いずれは一緒に農業をやっていきたいという思いももっていらっしゃるそうです。今はなかなか手が回らない通販事業や販路の拡大などについても、時間と仕事量のバランスを考えながら検討していくと話してくれました。
INTERVIEW
旭市のお気に入りの場所は?
農業をやっていると「今日が休み」という感覚がないので、休日どこかに行くというよりも、子どもを軽トラに乗せてお風呂に行ったりとか、そういう日常の何気ないことが楽しいです。
旭市に来たばかりの頃は、何にでも感動していました。夜車で走れば田んぼでカエルが鳴いてるし、空気も澄んでるし、星はキレイだし。
始めは海がこんなに近いことも知らなくて、地元の人に教えてもらって行ってみたら、めちゃくちゃ近いしキレイだし、すごくいいなあ…と思いました。
地域とのつながり方は?
人付き合いの得意不得意は人それぞれあると思いますが、本音でがっちりいける人、ちゃんと迷惑をかけられる人を1人でも作っておくと、そこからどんどん広がっていくと思います。これをやれば絶対うまくいくということもないし、自分が好きな人と出会えるかどうかも分からない。でも、自分がそうでしたが、例えば仕事とか、「これをやりに来た!」というものが一つあれば十分。そこからきっと、人との関係は広がっていくと思います。
Living in Asahi Time.
生産者:藤永太一さん/旭市岩井在住
神奈川県横浜市出身。就農のために8年前に旭市へ移住。現在はフリルレタス農家として、生産・販売、地元飲食店への配達などを行っています。旭市で出会った奥様とお子さん2人の4人家族です。